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2011/04/03

不安

揺れが治まっても、まだ揺れているような錯覚を覚えた。3分近く揺れが続いたらしいが、それ以上に長く感じた。

病室ではご法度、そして、またこのような状況では繋がりにくいとは分かっているものの、直ぐに携帯を手にした。

だが、やはり既に「圏外」になって繋がらない。メールも送信不能。同室の方々も同じだ。

「(西隣に建つ8階建ての)管理棟からは、速やかに退避して下さい!」との館内放送が流れ、緊張が走る。

あの揺れから、宮城沖以上のパワーであった事は、容易に想像がつく。阪神大震災ニュース映像が頭を過る。建築物の崩壊。街を包む炎。

家族は何処にいたんだろう? よく買い物に出かけている時間だ。建物の崩壊、道路の陥没に巻き込まれていないか? 不安が大きくなる。

電源は非常用に切り替えたらしく、間もなく照明は点いた。しかし、一般電源のテレビは当然見られない。今、どのような状況に置かれているのか? 部屋の方の了解を得、携帯ラジオをイヤホンなしで流し、皆で耳を傾けた。

夜になって、一時携帯の圏外表示が消えた。そして、長男からみんな無事でいるとの短いメール。一安心。

「今どこにいるのか? 自宅? 避難所?」と返信。しかし、直にまた繋がらなくなった。

倒れた家財等で怪我はしていないか? 次の治療待ちで帰宅していた長男、寒さで体調は崩さないだろうか? 食べるものはあるのか? また不安で胸が苦しい。

その後、土・日の週末、週明け月曜日と、連絡がつかない不安な日々が続いた。大事の時、家族をも守ってやれない自分がとても情けなかった。

15日火曜日頃になると携帯が繋がりやすくなり、友人からも安否確認のメールが入るようになった。家内からも、自宅で頑張っているとのメール。

そして、その午後、家内、長男、長女が揃って来てくれた。皆の顔を見た途端、涙がこぼれそうになった。

スタンドが閉まっていてガソリンも灯油も買えない。食料は開いてる店を探し、長時間並んでその日の分を調達。

追い打ちをかけるように時々雪も降る冬に戻ったよう日が続いている。そんな寒さの中、長時間並ぶ家族の姿を思い浮かべると、胸が締め付けられるようだった。

翌日、16日水曜日、ライフライン(電気はその日復旧)も完全に復旧していない状況、若干の微熱も残り不安もあったが、土曜日退院の方向で家内に相談。病院も医療用品等の物資不足、被災地からの患者さん転送等で大変な状況のようだった。

19日土曜日の午後。このような状況で、家族のお荷物になってしまう・・・という不安。いつもとは違う、複雑な思いを胸に病院を後にしました。

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コメント

おはようございます
こういう時に家族と離れていると心配が募ります
ね でもみんな無事で良かったです お荷物なん
て考えてはダメですよ 家族はそんな事考えてい
ませんから・・・

カメラ夢遊さん、ありがとうございます。
家内からも、あんまり心配し過ぎると、体に悪いからねと怒られました。
でもですね、今回の事に限らず、家族や周りに負担をかけたくないという思いは、一生背負っていくだろうなと思います。

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