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2013/03/15

わせねでや 2013.3.11に。

130315

東日本大震災直後に、塩釜市浦戸諸島のひとつ桂島の避難所で、一人の女性が美しい島の景色や島の人々への想いを綴った詩から生まれたCD「わせねでや」です。

歌手の加藤登紀子さんと、みちのく所縁のミュージシャンによる歌と演奏。ジャケットは、塩釜市出身の写真家平間至さんによるとても感動的な写真で構成されています。

*桂島うたプロジェクト「わせねでや」
 http://www.tbc-sendai.co.jp/03tv/wasenedeya/index.html

「わせねでや」とは、「忘れないでね」という意味。

今週月曜日、震災発生から丸2年が経ちました。

震災では、それまで「あたりまえ」だと思っていた多くの事が「あたりまえ」でなくなってしまいました。

「ありがたい」とは、「有り難し」。あたりまえにあったはずの何気ない日常の中に、ありがたい多くの幸せがあったことに気づかされました。

また、人と人との繋がり、支えあいの大切さ、ありがたさ。人は一人では生きていけないということ。決して一人じゃないということ。

2年が経ち振り返れば、自分はすっかり震災前と変わらない生活が戻り、そのことを意識せずに過ごしてしまっていたのではないかと思います。

震災で大切な縁ある方、大切な故郷を亡くされた方々の悲しみは、いくら時が経っても消えるものではないと思います。

そして、いまだ31万5千人を超える方々が、厳しく辛い避難生活を余儀なくされているとのことです。

これからも「わせねでや」を聴きながら、一日一日を大切に、そして大変な思いをされている方々が幸せにくらせるように、故郷の復興が進むように祈っていきたいと思います。

☆ Today's Photo
  PENTAX Q / 01 STANDARD PRIME

***今日より明日が、より良い日でありますよう!***

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東日本大震災」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
2年が過ぎて毎日が何となく過ぎて行ってしまうと
あの恐怖の瞬間を忘れています!!
或いは、無意識に忘れようとしているのかもしれませんネ?
最初は新鮮に感じられたこの音楽も繰り返し聞くといささか
退屈になります・・・・
多分何度もの繰り返しには耐えられない程度の
音楽なんだと思いますよ・・・少し傲慢かもしれませんが・・・。

おはようございます
忘れずにずう~っといられるって難しいですね
あんなに原発の悲惨さ問題にしていたのにもう
そんなこと無かったみたいになってしまってい
る今の時代って怖いです・・・

こんにちは。
自分だけが幸せでも、本当に幸せな気持ちになれないということを、日本の国民、皆が、感じた日でした。
たくさんの人がボランティア活動をしたり、復興のために、自分は、何ができるのか?を考えました。この気持ちを忘れてはいけませんね。
神戸は、震災後、以前よりも増して、素晴らしい地域になったと聞きました。東北地方も、早く、被災にあわれた皆さんが幸せに暮らせるよう復興てほしいと願っています。

こんばんは。
あの夜はとても寒く、真っ暗サイレンがなり、綺皮肉にも星がとても綺麗でした。
ガソリン買えず、肉買えず、でも我が家は水道、ガスはあったので他の方と苦労話するのはおこがましいですが色々心配事ばかりでしたよね。
子供へなにを教えようか、、とかたまに思いますが、、嘘つくな、裏切るなとかありますが、、やばいとおもったら逃げろ!とは教えておこうと思います。はやいもんですね。 日本に住んでない外国の友達はだれも震災の話題にすらふれてませんでした。ぼくも そうですが、こんな時代でも外国は外国で、、悲劇を、わすれがちです、ら
せめて我々は忘れずに生きて行きましょう。
長文乱文失礼しました。

るーちゃんさん、こんにちは。
この曲が出来上がるまでの様子をTVでみて感動し、また、売り上げの一部が義捐金として役立つと聞いて、リリースを心待ちにしてCDを買いました。私は、音楽通のるーちゃんと違って、音楽的な良し悪しを語れません。でも、曲作りに携わった人たちの優しが詰まったこの曲が大好きです。

カメラ夢遊さん、こんにちは。
先日、どこの国か忘れましたが、首相がGWを利用したアジア外交の際、原発開発を模索している国へ、日本の原発を売り込みたいと言っているとのニュースを聴きました。あれだけ大きく悲惨な事故が起き、多くの人たちが苦しめられ、終息の目途すらたっていないのに。少し前のある新聞が行った世論調査では、首相の原発ゼロ政策見直しを支持する人が、6割近くだと聞きました。何でも経済優先ばかりで物事が進んでしまうのは、とても不安です。

Maruさん、こんにちは。
震災の際、団地の坂を大阪ガスの社名が入った作業車がたくさん登ってきて、団地中で復旧作業にあたってくれるのを見て、涙がこぼれました。
街では、見たことがない他県ナンバーの車をたくさん見かけました。ある場所で、沖縄から駆け付けてくれたボランティアの方にお会いしました。まだ寒かったあの頃、ある施設のコンクリートの床に寝袋で過ごしておられました。全国の皆さんからたくさんの励ましをいただいて、本当に感謝感謝です。
何も大きなことはできない自分ですが、神戸の街のように復興できるよう、ふるさとが元気になるよう祈っていきたいです。

tkcさん、こんにちは。
私は、震災発生時は入院中でした。家にいても足手まといになるばかりだったでしょうが、闘病中の長男までもが食料調達に寒い中を何時間も並んだと聞き、何もできず、家族の精神的支えにすらなれない自分がとても情けなかったです。
災害は何時やってくるかわかりません。先日、45号線を走っていて、こんな所まで津波が来たのかと驚きました。そうですね、お子さんには、まずは身の安全をと教えてあげたいですね。
ラジオで、人は忘れることによって前へ進めると言っているのを聴きました。また、いまだPTSDに苦しむ方の話も聴きました。ですから、津波の映像はもうやめてくれないかなと思ったりします。でも、未来の命を守るためにも、教訓となることは忘れずに語り継いでいかなければならないですね。

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